学会の沿革

日本産業看護学会誕生までのプロセス

昭和の初めに産声をあげた産業看護職は、それぞれの時代の産業保健ニーズに対応した活動を看護専門職の立場で行い、80年余の歴史を刻んできました。その変遷の概要を示し、本学会の設立の経緯を述べたいと思います。

昭和の初め 公衆衛生を専攻した看護婦が企業に採用され、結核対策をはじめとした感染症予防活動を行った。
1954年 日本看護協会保健婦会による産業保健研究会が発足し、産業保健婦活動の方向付けに努力した。
1962年 健康保険組合連合会による第1回の事業所保健婦研修会が実施された。以後毎年定期的に行われ、産業保健婦の資質の向上に貢献した。
1972年 労働安全衛生法が制定され、産業医、衛生管理者は配置基準・業務内容が示されたが、産業看護職については触れられなかった。関連の通達で保健婦に衛生管理者としての活動が求められ、看護の専門性は認められなかった。
1978年 日本産業衛生学会教育・資料委員会による、産業看護カリキュラムの検討が始まった。また、この年には、日本産業衛生学会産業看護研究会が発足した。
1983年 上記カリキュラムによる産業看護研修セミナー(後に産業看護講座と改称)が開始された。
1988年 労働安全衛生法の改正により、Total Health Promotion Planが開始された。ここでは、産業看護職が産業保健指導者として位置づけられ、看護専門職としての活動が求められた。
1991年 日本産業衛生学会産業看護研究会による「産業看護の定義」が示された。その結果、産業看護の専門性が明確になった。
1992年 日本産業衛生学会産業看護研究会が発展的に解消し、産業看護部会となった。
1995年 日本産業衛生学会産業看護職継続教育システムが産業看護部会により構築された。
1996年 労働安全衛生法の改正により、健康診断の事後措置としての保健指導を行う人材として、保健婦が法文上に明記された。
2005年 ILOとWHOの合同委員会による「産業保健の目標」が改訂されたこと、世界の産業保健の動きが自主対応型に変化したことを受けて、日本産業衛生学会産業看護部会により、「産業看護の定義」が改訂された。
2006年 厚生労働省により「労働者の心の健康の保持増進のための指針」が公示された。2000年に公示された「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」で明確化されなかった、メンタルヘルスにおける保健師の役割が本指針では示された。

以上の歴史的な経過からも明らかなように、時代の変遷とともに産業看護職の社会的認知は高まり、その重要性が浮き彫りになってきています。産業保健の中心課題がメンタルヘルス対策や作業関連疾患対策になっている現代にあっては、看護の専門性から、これらへの貢献の大きい産業看護職の役割は、ますます重要になり、今後も期待が大きくなっていくといえましょう。

その期待に応えるためには、産業看護活動の基盤となる「産業看護学」の確立と高度な実践能力・実践方法の開発が不可欠です。そのため、従来から産業現場で活躍している経験豊富な産業看護職はもとより、産業看護分野の教育・研究者も、集積されてきた経験知をもとに、「産業看護学」の確立に向けての努力を重ねてきました。その努力が実って、1998年の日本地域看護学会の設立にあたっては、地域看護学の四領域の1つとして、「産業看護学」が位置付けられ、看護専門分野の一つとして地域看護関係者の認知を得るに至りました。

そのような状況下で、学問としての「産業看護学」を発展させるためには、個々の活動を集約し叡智を集めることに加えて、看護基礎教育に「産業看護学」を位置づけることが大切です。「産業看護学」がすべての看護教育機関のカリキュラムに取り入れられると、多くの看護学生が「産業看護学」の魅力に触れ、優秀な人材が産業看護分野に確保できます。

さらには、大学院修士課程・博士課程の設置に拍車がかかり、教育・研究者の養成に加えて、産業看護分野のAdvancedPracticeNurse(APN)の増加が期待できます。その結果、産業看護教育・研究者と高度産業看護実践者が連携することにより、「産業看護学」の更なる発展が期待できます。

また、看護基礎教育における産業看護教育は、“看護の質”を高める上でも役立ちます。

例えば、医療機関で働く場合でも、外来・入院患者の半数以上は働く人ですから、それらの人々の看護にあたって欠くことのできない“労働の視点”を養うことができます。そういったことから、看護専門職を目指すすべての学生に「産業看護学」を学んでもらうことは、意義あることと考えます。

その考え方のもとに、いくつかの教育機関では看護基礎教育に「産業看護学」が位置づけられ、実施されていますが、その数はまだ少数にすぎないのが実態です。そこで、この現状を打破すべく、看護教育界の複数のリーダーに相談した結果、さまざまなアドバイスをいただきました。そのポイントは、“産業看護の専門性”をアピールし、看護専門分野の一つとして「産業看護学」を看護界で認知してもらうということでした。

今までもその努力は重ねてきましたが、更なる施策として何が必要かについて、志を同じくする産業看護職間で検討した結果、まずは、「産業看護学の教育を考える会」を立ち上げることにし、2011年にそのことが実現しました。その場での検討の結果、まずは日本看護系学会協議会に加入することが最も効果的ということになりました。

わが国の産業看護職の学術集団としては、日本産業衛生学会産業看護部会が唯一のものでしたから、そこに相談させていただくのが最善と考えましたが、日本看護系学会協議会に入会するための条件として、「会員の半数以上が看護研究者(現場で研究をしている人を含む)であること」とされていることが判明しました。日本産業衛生学会で産業看護職の占める割合は、約30%のため、日本看護系学会協議会の入会要件である50%に届かず、断念せざるをえませんでした。

以上のようなことから、「産業看護学の教育を考える会」は、2012年6月1日に、名古屋において、日本産業看護学会の発起人会を開き、趣意書、定款などについて、審議していただきました。

その結果を受けて、2012年12月8日に、東京において、日本産業看護学会の設立総会ならびに第1回学術集会が開催されました。



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